ちょっといい話

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  私が読んだり聞いたりした情報の中から、感動した話を掲載します。原則として引用原点を記してますので、詳細はそちらを参照してください。

お母さんのために歌って(16−10−7)

◆「お母さん私のために歌って!」
 おめでとう!花嫁姿の貴女を見ていると、二十七年前のことがうそのように思われてき
ます。貴女の耳が聞こえないという診断がくだされた日の深夜、お母さんは貴女を抱いて線路に座り込んで死を覚悟したのです。「耳が聞こえない」という宣言は、お母さんにとっては、いや私にとっても考えだにしなかったことでした。
 貴女には話していませんでしたが、お母さんはシャンソン歌手でした。私はその伴奏をつとめるピアニスト。私たちはともに音楽大学を出たんだよ。知り合って、すてきな恋愛
をして、結婚して、貴女を授かって、いつどんなときでも音楽に包まれていました。ところが三月に貴女が生まれて、その年の秋も深まる十一月頃に貴女の様子がおかしいのに気がついたのです。
 貴女の背中ごしに声をかけても振り向こうとしない。私がわざと激しくピアノを叩いて
も怯えることもなくニコニコしている貴女でした。「まさか?」祈るような気持ちで大学病
院の精密審査を受けた結果が「お嬢さんは先天性ろうです」の宣告でした。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた私たちは神を恨み、運命を呪いました。
 その日の夜、お母さんは貴女を抱いていつの間にか家を出ていました。必死で深夜の街を探しまわり、お母さんと貴女の二人を見つけたのは線路の上でした。引き戻そうとしたとき、お母さんは「死なせてください。この娘に申し訳なくて・・・、私のせいです。この娘と死なせてください」と叫びました。そのときです。眠っていた貴女が目を覚まして微笑んだのです。天使のように・・・・・。
 貴女の微笑みを見た私たちは声を上げて泣きました。泣きつづけました。そのとき私たちは誓ったのです。「心の豊かな、笑顔のすてきな優しい娘に育てよう」と深く心に決めました。
 それから二十六年。貴女は私たちの願いをかなえてくれた。
<私タチハ愛シアッテマス。結婚サセテクダサイ>
と彼と二人でそう言ってきたとき、私たちはあの日以来の涙を流しました。
 ところで、貴女にお願いがあります。実は、お母さんは貴女の耳が聞こえないとわかった日から歌手をやめました。私もピアノを弾くことをやめました。だから、貴女は私たちが音楽家であったことを知らなくても当然です。私たちが音楽にふれることは貴女に申し訳ないと思っていました。でも、貴女が羽ばたいていく今、私はお母さんに「もういいだろう」と言ってあげたい。貴女の幸せを願って歌うことが貴女の、私の、お母さんの喜びにつながると信じます。貴女からお願いしてほしいのです。
<ワタシノタメニ歌ッテ!>と。
きっと歌える。唇を読みとろうととする貴女の眼差しにお母さんは心を込めて歌うと信じています。
 ピアノは・・・・・もちろん私だよ。
以上、丸山浩路著

 

 

きいちゃんのこと(12−12−13)

 石川県の養護学校の先生である山元加津子さんは、養護学校の生徒一人ひとりの個性を見つけ、育て、開花させる天使のような人。私の尊敬する袋井市の公認会計士、小林正樹先生が、この山元先生をお招きし、講演されたときに講演録から「きいちゃんのこと」を転載します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 では、次に、きいちゃんっていう女の子のお話をします。きいちゃんも吉川くんの同級生で、その時に出会ったお子さんです。で、きいちゃんも小さい時高い熱が出て、手とか足が不自由でした。たとえば、コップを取ろうと思ってここに持ってこようとしてもこの調整がうまくいかないであっちへ行ったり、向こう側に行ったり、手前に行ったり、そういうふうになってしまうっていう障害をきいちゃんは持っていました。

 で、きいちゃんは、どちらかと言うといつも暗い感じのするお子さんでした。なにかいつもうつむいていて元気もなかったですけど、ある日、とっても嬉しそうな顔で、「山元先生!」って、元気に飛び込んできてくれたんですよ。職員室に・・・。

 どうしたんだろう?と思って「きいちゃん、どうしたの?」って言うときいちゃんは、「お姉さんが結婚するのよ!今度、私、結婚式に出るのよ!」ってすごく嬉しそうだったから「そう、良かったね!」って、私も嬉しくって・・・。きいちゃんは「ねえ、結婚式ってどんななの?私、どんな洋服着ようかな」ってとても嬉しそうだったんですね。ところが、一週間程したら今度はきいちゃんが、教室で泣いている姿を見つけました。で、「きいちゃん!どうして泣いているの?」って言ったら、「お母さんが私に『結婚式に出ないで!』って言うの。私の事恥ずかしいのよ。お姉ちゃんばっかり可愛いんだわ!私なんか生まれなきゃ良かったのに・・・」って、そう言って泣いてたんです。

 私、どうしたらいいんだろう?お母さんはお姉さんばっかり可愛がるような方じゃないんです。どちらかというと、かえってきいちゃんの事を本当にいつもいつも可愛がっておられて目の中に入れても痛くないって思っておられる様な方でした。もしかしたらきいちゃんが結婚式に出る事で何か・・・。お姉さんが肩身の狭い思いをするんじゃないかという・・・。そういう事をお母さんが考えられたのかなって私、思ったりしてました。

 で、きいちゃんに何言ってあげていいのか解らなくて、ただ、「お姉さんに結婚式のプレゼントを一緒に作ろうか?」ってそう言ったんです。で、私、生まれが金沢なんです。金沢の山の方に、「和紙の里」っていうところがあるんですけど、そこで染めを習ってきて、さらしの生地ですごい安いのなんですけど・・・。私達お金がなかったので、そのさらしの生地を買ってきて、きいちゃんと一緒にそれを夕日の色に染めたんです。

 で、それでお姉さんに「浴衣をね、縫ってあげよー!」って提案したんです。でも、きいちゃんはね、さっきお話したみたいに手が思うようには動かないところがあるので、「きっと縫うことはむつかしいだろうなぁ。」と思ってました。でも、「一針でも二針でもいいし、ミシンもあるし、私もお手伝いしてもいいし」と思ってたんですね。

 でもきいちゃん、すごく頑張ったんです。最初はね、手にいっぱい豆、血豆ができるくらいにね、刺して、ほんと、血がいっぱい出たんです。それでも構わず練習して、学校にいる間も、それから、いつもおうちから離れて学園ってところで生活してたんですけど、学園に持って帰ったりして本当に一生懸命、一生懸命、ほとんど一人でそれを仕上げました。

 とても素敵な浴衣になったので、急いで宅急便でお姉さんのところに送ったんです。そしたら、お姉さんから電話がかかってきて、「結婚式にね、出て下さい。」って言うんです。きいちゃんだけじゃなくて私も・・・。お母さんの気持ちも考えて「どうしようかなー?」と思ってお母さんに電話したら「姉がどうしても出てほしいと言って聞かないんです。それがあの子の気持ちだから出てやって下さい。」っておっしゃって、きいちゃんに聞いたら「私も出たい」って言うので、それで出ることにしました。

 お姉さんはすごく幸せそうでした。で、とってもきれいだったけど・・・。あの、きいちゃんの姿を見て何かヒソヒソお話をされる方がおられるので私はきいちゃんが「どう思っているだろう。」「来ないほうが良かったんだろうか。」って思ってたんです。

 そんな時にお色直しから、扉を開けて出てこられたお姉さんはびっくりした事にきいちゃんが縫ったあの浴衣を着ていました。私はすごく感激しました。だって、・・・。 

 結婚する時ってみんなね、ずっと前から楽しみにしてお色直しの洋服はあれにしようとかって決めるものじゃないですか。それなのに、

 「あー、浴衣を着て下さったんだ。」と思ったらすごくすごく嬉しかったんですね。で、お姉さんは、旦那さんになられる人とマイクの前に立たれてそして私達をマイクの方に呼んで下さってお話をされ始めたんです。「この浴衣は私の妹が縫ってくれました。私の妹は小さいとき高い熱が出て、手足が不自由です。でも、こんなに素敵な浴衣を縫ってくれたんです。妹は私の誇りです。」って、そう話されました。「高校生でこんなに素敵な浴衣を縫える人が一体何人いるでしょうか?妹は小さい時に病気になって家族から離れて生活しなければなりませんでした。私の事を恨んでるんじゃないかな?と思った事もありました。でも、そうじゃなくて私のためにこんなに素敵な浴衣を縫ってくれたんです。私はこれから妹の事を大切に誇りに思って生きていこうと思います。」

 そしたら会場からすごくすごく大きな拍手がわいたんです。そして、きいちゃんもすごく嬉しそうでした。で、私は後で、「どうしてきいちゃんのお姉さんがああいう話をなさったのかなぁ?」と思いました。 もしかしたらきいちゃんは・・・。

 今までお姉さん自身「何もできない子」っていう思いできいちゃんを見ていたそうです。でも、そうじゃないって解ったときに「きいちゃんはきいちゃんとして生まれて、きいちゃんとして生きてきた。これからもきいちゃんとして生きていくのに、もしここで隠すようなことがあったらきいちゃんの人生はどんなに寂しいものになるんだろう。そうじゃない。この子はこの子でいいんだ。それが素敵なんだ。」って言うことをおっしゃりたくて皆さんの前で話されたのかなって思いました。「なんて素晴らしいんだろう。」と私は思いました。

 で、その時に私は「自分は教員だ。」という思いをやめようと思いました。「人間は人と人とがいて係わりあいながら、学びあいながら生きているんだ。それがたとえ学校であっても同じじゃないか。自分が教えようとかそういう思いでは何も変わらない。私は今、教えてもらうことばかりだし・・・。」と思っています。…中略…

 ところで、お母さんはあの後、私に何度も「ありがとう」と言って下さいました。きいちゃんがお母さんに、「おかあさん、私、幸せ。生んでくれてありがとう。」ってそういうふうに言ったそうです。でも、「私は何もしなくってかえって私こそあんな素敵な場面に居合わせて貰えたことを本当にありがたい。」と思っています。きいちゃんはそのことがあってから、とても明るくなりました。そして、「私は和裁を習いたい。」と言ってそれを一生の仕事に選んだんです。 

ここから先は山元先生のHP「たんぽぽの仲間たち」をご覧あれ
http://www3.justnet.ne.jp/~kakko/

木の城たいせつ(11-7-20)

 北海道に「木の城大切」という会社があることを最近しりました。教えてくれたのは「世界でいちばん住みたい家」(赤池学/金谷年展共著:TBSビリタニカ)です。
 目次がおもしろいのです。「第1章 病気を作る家、健康を作る家」「第2章 人を殺す家、人を生かす家」「第3章 財産をなくす家、財産をつくる家」「第4章 未来を壊す家、未来を作る家」「第5章地域を滅ぼす家、地域を輝かせる家」「第6章 心をむしばむ家、心を育む家」。それぞれの章の前の言葉が『木の城大切』だというのです。

 早速ホームページを開いてみました。 いろいろ会社のホームページを見ましたが、このHPはユーザーの一人が、自分の体験を元に、詳細に「木の城たいせつ」の住宅について解説を兼ねて作っているのです。

 いま、住宅は「シックハウス」「手抜き住宅」などなど、問題だらけ。 そんな中で「木の城たいせつ」は宮大工の社長さんが作った、(今のところ)日本で最高の「共生・循環型」の家であることを痛感しました。
 北海道の厳しい冬を基準に考えたこの家は、「暖かさ」抜群で、ペチカ一つで全室暖房。トイレも浴室も、家中で温度差がほとんどない。冬場の結露はまったくなし。アレルギー体質が改善されたり、もちろんシックハウスのシの字もな。下請け業者にいっさい任せないという一貫生産、しかも普通の家の5倍の木を使用しているという。その木も極力北海道

 富士総合研究所の「住宅満足度調査」では北海道でNO1。しかも値段は坪35万円からと手頃。

 なによりも100年持つというところがすごい(と言っても、まだ100年経過した実績はないが・・・)。但し、このうたい文句には「公正取引協議会のお墨付き」があるとか。
 木は生長して住宅に使えるまでに40〜50年かかるという。ところが一般の住宅は20〜30年しかもたないから、家を作ればつくるほど森林が破壊される。これに対して「木の城たいせつ」の家は100年持つから、家を作ることにより森林が伐採によってなくなってゆくことはないという。循環の思想がここにある。

 家内と、「今度の家は『木の家たいせつ』で作ろう」といって、HPの最後のページをみたら、「北海道でなければ建てられません」とある。生命地域主義を徹底守っている姿勢がすばらしい。
 なにはともあれ、いちどHPをお覗きあれ。

  http//www2.tky.3web.ne.jp/~tacbom/zkst/

 

白木流奈くんのこと

 先天的な障害児として誕生した白木流奈くん(現在8歳)の文章とホームページを紹介します。ぜひ一度、覗いてください。人間の能力の絶大さ、神秘さにびっくりします。

 彼は1990年横浜生まれ。極小未熟児、先天性腹壁破裂の状態で生まれる。生後2週間で3度の手術を受け、脳に水がたまり、圧迫されたため、脳に損傷を受け、脳障害となる。新生児痙攣、点頭てんかんの発作を起こす。発作の治療による副作用で白内障となり、両眼のレンズを摘出、未だしゃべれず腹這いもできないが、 1993年よりドーマン法のプログラムを開始してしている。字は書けないが、五十音の文字盤を指して文章を作り、自分でホームページを持つ。

 彼の文章から。
「私は生まれた。私が生まれた日、嵐が人々に振り掛かった。母には会えず、私は救急車でマリアンナ病院の救急センターに運ばれた。私はすぐ箱に入れられ、手術の準備をされた。私は生きられるだろうか? 言葉にならない不安が心をよぎる。暗い世界から、光あふれる暖かい世界にやっとでてきたのに!」(天明注:6歳の時の文章から)

 彼が言葉の存在を理解したときのこと
 「世界はここにある。そう名乗りを上げたのは、ある一冊の本だった。ああ、光! 私は本屋が光って見えた。ここはたくさんの記号の洪水だ。私の求める世界、出航を待つ船。私を乗せる準備はできているのかしら? 母はついに見つけた。私を世界に誘う船になる本を! 記号には法則があった。それこそが、私の世界を示すキーワードだった。法則、『文字』という法則。乾いた空気、のどを抜ける。潤いが欲しい。ジュースの香り、果物のしぼり汁。かすかに湧く希望のように、脳いっぱいに広がるフルーティな光。のどを潤すジュースのようだ。『文字』、脳に行き渡るジュース。母が見つけたのは、世界! 世界とは文字を知ることにより広がる。愛すべき人々との接点が、今、開こうとしていた」(天明注:6歳の時の文章から)

  これから先はこちらのホームページをごらんください。 http://www2.odn.ne.jp/luna

 

 

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